
| ここは、HIP-HOPの起源やレーベルの歴史を簡単に説明してみましょう!(bEE氏の個人的な記憶を基に作成したので間違っていたら、ご容赦ください。m(__)m) |
TAKE 1
HIP−HOPは70年代ベトナム戦争などを抱えたアメリカのマイノリティー達の中で生まれた。
その中の貧しい黒人やヒスパニックは、その頃の遊びの中心であるクラブ(今でいうディスコ)やライブハウスに行くことが出来ないので(人種差別や金銭的な理由)、ジャマイカのシステムにならい、屋外でパーティーをするようになった。
そこで子供達の口ゲンカをもとに(日本でいうお前のかーちゃんでーべそ。)かけあいのラップが、ダンスはブレイクダンスなどが、ストリートから生まれた。
ラップは、Human Juke Boxといわれる口でドラムやベースの部分をものまねしながら、そのビートにのせるやり方が主流だった。
少しお金があるマイノリティー達の中で、ターンテーブル2台とディスコミキサーを持つ者は、同じレコードを2枚買い前奏などのドラムの部分を交互に繰り返しかけブレイクビーツを作り出した。その人の名は知る人ぞしる「クールDJハーク」である。
さらに、スクラッチをあみだした「グランドマスターフレッシュ」などが現れ、今は一般的なスキルが急速に広がり、ストリートからクラブシーンにフィードバックされた。
そして、「アフリカンバンバーダ」がターンテーブルを操り、そのビートをバックに彼の仲間達がラップをナイトクラブには欠かせない物にした。
(誰がラップを最初にはじめたかは当時から今もいろんな人たちの間で争われつづけている。)
TAKE 2
ブレイクビーツを発見した彼らは、80年代に発展したテクノロジー、シンセサイザーやそれまでになかったドラム・マシンなどを使い、自分達流のファンク「エレクトロ・ファンク」を作った
アフリカン・バンバータの「プラネット・ロック」(82年)を筆頭にニュー・クルーズ、デイヴィDMX、ラッセル・ブラザーズ、マントロニックス等、彼らの作品では数多くの効果音や叫び声が全体の雰囲気を決めていた。
ラップの内容もパーティーのためのルーティン、自慢やセックス中心から自分達の状況を 社会的にとらえたものが増えていった。
86年には、ヒップ・ホップが次のステップに進んだことを示す2つのグループが、全く 違う方向の2つの曲をリリースする。 RUN D.M.C.が老舗のロック・バンド、エアロ・スミスの「ウォーク・ディス・ウェイ」をカヴァーし、ヒップ・ホップがディスコの世界か ら飛び出したキッカケともなった。
なんとこのビッグヒットは、アパレル業界まで動かした。 キックはアディダスのスパースター(当時 RUN D.M.C.ヴァージョンなんかも正規で出てました。)、インナーはPLAYBOYやアディダスのスェット、ナイロン素材のセットアップスーツなどなど・・・
一方、ブギ・ダウン・プロダクションズの「サウス・ブロンクス」は、ヒップホップ創生期から生き抜いてきた最後の生き証人の賛歌とも言えるだろう。
事実、これ以降に登場する新人のラッパーやDJ達は、オールド・スクールと呼ばれる「フラッシュ」や「クール・ハーク」を見聞きするには、幼すぎたはずだ。
80年代後半登場したニュー・スクールの先駆者「ジャングル・ブラザーズ」、「ア・トライブ・コールド・クエスト」、「デ・ラ・ソウル」なども、創生期の追体験をするかのようにオールド・スクール的要素を再構築する事から始めている。
その前後には、「DEF・JAM」の白人ラップグループ「ビースティ・ボーイズ」が巨大なセールスを上げ、同レーベルの「パブリック・エナミー」はブラック・ナショナリズムを扇動するようなリリック(歌詞)とイメージ(レコジャケで白人が黒人をリンチしている写真を使ったり・・・)で社会的問題を提議するヒップ・ホップの先駆者となった。
実際、「RUN.D.M.C.」を入れたこの3組は、ヒップ・ホップ・ファン以外の多くの新しいファンを獲得し、セールスにも成功した。 そして、これに続く80年代前半は、ニュースクールという言葉どおり東海岸のヒップ・ホップが実験を重ねながら次々に名曲と言われる作品をリリースしていった時期だった。
HIP-HOP LABEL
NYのブロンクスを中心に、70年代半ばに誕生したヒップ・ホップ・カルチャー。
初期のヒップ・ホップ・レコードは、ストリートの子供達の間でそれが流行ってると聞い た大人たちが、軽い気持ちで金儲けにしようとしてリリースした。
当時のプロデューサーとして有名なのが、シルビア・ロビンソン(SUGARHILL)、ビー・ ロビンソン(ENJOY)、ピーター・ブラウン(SOUND OF YOUNG NEW YORK)などが いた。
当時は、かなりいい加減だったらしく、そこら辺の子供がラップできたりしたら 直にスタジオに連れて行き、リズムのガタガタなトラックをバックにレコーディングして いたらしい。
その中でも例外として、アーロン・フュークス(TUFF CITY)、トム・シ ルヴァーマン(TOMMY BOY)などは、かなりまじめに作っていたと思う。
その後、ラップのレコードが儲かると判っても大手のレコード会社はラッパーを多く抱 えようとせず、JIVE等好奇心の強い海外資本のレコード会社がリリースしたりしていた。
しかし、ある男達の出現により流れが突然勢いを増す! その男達とは、リック・ルービ ンというユダヤ人青年のDJ,弟のラップグループを売り出そうとしていたラッセル・シモンズ。
そう、いうまでもなく現在でも健在なデフ・ジャム(DEF JAM)の始まりであり、 そこから、NYを中心にインディ・レーベルが大量に出回り始めた。
PROFILE, POPART, COLD CHILLIN', PRISM, FRESH, NEXT PLATAU, BAD BOY, STRONG CITY, SLEEPING BAG, FIRST PRIORITY, etc…大手と違い、こうしたインデ ィー・レーベルには、それぞれのプロデューサー、音の個性があり面白くレーベル買いし てもよいだろう。
to be continued